もうすぐ東日本大震災の発生した3月11日です。あれから14年ですが、あの日のことは、鮮明に覚えています。
発生時私は、南区弘明寺の理髪店で髪を切っていました。そろそろ髪の毛を切り終え、ひげも剃り終えたというその時に激しい揺れを感じました。これまでに経験したことのない激しい揺れに、動揺し、建物から飛び出ました。外では高齢者の方が不安と恐ろしさで腰砕けのようになって座り込んでいました。見知らぬ人でしたが、大丈夫ですよと抱え上げました。近くの商店街のアーケードは激しい揺れに、大きな『ガシャン、ガシャン』と音を出して崩れてこないか不安になりました。ようやく揺れもおさまったので、身支度をして、駐車場急ぎました。
駐車場で精算をしようとしましたが、停電のため、精算して出庫することができません。管理会社へ連絡しましたが、『すぐに向かうので待っていてください』とのんきなことを言われて困り果てていると、そこの駐車場のオーナーが駆け付けてくださって、駐車のパネルを踏んで下げてくださいました。お金もよいと言われましたが、そうはいきません、助かったお礼として、500円を支払い、関内馬車道にある保険会社へ行く予定でしたので、向かいました。その途中の吉野町を走っていると、車の中でも感じるほどの大きな揺れに思わず、車を停車し、外へ出ました。車を停めるにも電信柱が倒れてこない場所を選んで停めました。
揺れが収まったので、車を進めました。そこでやっと冷静になり、『保険会社へ行っている場合でない』と家へ急ぎました。我が家は一見では被害を確認できませんでした。中に入り家具など倒れていないか確認しましたが、確認できず、食器棚の中にあった細いグラス1個が倒れているだけでした。
続いて、妻の実家は大丈夫か気になり、駆けつけました。義母は外出中で、布団が外に干してあったので、雪もちらつき始めたので取り込むため、家の中に入ると、義母の寝室に箪笥の上に置いてあった箱が落ちて、散乱していました。義母が寝ている時間でなくてよかったとほっとしました。こちらも箱は散乱していましたが、他には被害はなさそうです。ほっとひと安心し、今度は息子を保育園に迎えに行きました。こちらもみんな無事で家路につきました。
おかげさまで我が家は妻も職場も近く、夕方18時頃には無事に家にいることができました。保育園の他の保護者の方の話を後日聞くと、職場から徒歩で帰り、夜中の2時過ぎになったなどうかがい、我が家は幸運だったと改めて思いました。
ここからどんどん被害の状況が明らかになっていったのを覚えています。前にも紹介したと思いますが、大学の友人が陸前高田市に住んでいて、心配でならなかったのを覚えています。すみません、あれから14年経ってもあの時の状況を映す映像を見ても涙が止まりません。このひとり言を書いていても涙があふれてきます。しかし、被害にあった方々のためにも、風化させてはいけないと思い、載せましたが、これより先のことをお伝えしようとすると、友人のことを思い出してしまうので、これが限界です。ちなみに友人の家族は、家を流され、高校3年生だった長男と奥さんのお姉さんが犠牲になりました。ここまでにさせていただきます。申し訳ありません。